集合論が発展した歴史とともに,集合論の数学での役割をまとめた.
素朴集合論
高校数学で扱われる集合論や,大学数学の基礎として扱われる集合論は,詳しく言うと素朴集合論と呼ばれる.これは,非形式的な自然言語によって展開される集合論であり,数学者ゲオルク・フェルディナント・ルートヴィッヒ・フィーリップ・カントール(Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor, 1845-1918年)とユリウス・ヴィルヘルム・リヒャルト・デデキント(Julius Wilhelm Richard Dedekind, 1831-1916年)によって確立された.
素朴集合論では,集合を次のように定義する.
集合とは,明確に定義された数学的対象の集まりである.
しかし,これでは「明確に定義する」とはどういうことか,「数学的対象」とは何か,「集まり」とは何かがはっきりしない.これが,非形式的な自然言語によって集合を定義する際に生じる問題である.ただ,素朴集合論は数学を記述するのにとても便利でわかりやすく,致命的な問題が生じることはなかった1.
しかし,いくつかの矛盾が見つかっていた2.
- ラッセルのパラドックス(Russell’s paradox)
集合$X=\{ x\mid x\not\in x\}$を考える.$X$の定義より,$X\in X$と仮定すると,$X\not \in X$となる.また,$X\not\in X$とすると,$X\in X$となる.よって,いずれの場合も矛盾する. - カントールのパラドックス(Cantor’s paradox)
カントールの定理より,$X$を集合全体の集合とすると,$|X|<|2^X|$となるはずだが,これは$2^X\subset X$に矛盾する. - ブラリ=フォルティのパラドックス(Burali-Forti paradox)
順序数全体の集合$O$は順序数であり,$O\in O$より$O<O$となり矛盾する. - カリーのパラドックス(Curry’s paradox)(またはレープのパラドックス(Löb’s paradox))
任意の論理式$Y$に対して,集合$X=\{ x\mid x\in x\implies Y\}$を定めると,$X$から$Y$が真であることを証明できる.よって,任意の論理式は真であることが証明可能であることになり,矛盾する. - リシャールのパラドックス(Richard’s paradox)
ある$x\in [0,1]$を明確に定義する日本語の文(リシャール文と呼ぶ)を全て並べることを考える. 日本語の文字種は有限であるから,任意の$n\in \mathbb{N}$に対して、字数が$n$のリシャール文は高々有限個存在する.よって,リシャール文を字数の順に並べ,字数が同じものは辞書順に並べると,任意のリシャール文を一列に並べて,正の整数で番号付けができる.
ここで,ある$0$以上$1$以下の実数を次のように定義する.
整数部分を 0 とし,小数第$n$位の数を,$n$番目のリシャール文によって定義される実数の,小数第$n$位の数が$0$であれば$1$,そうでなければ$0$として得られる実数
上の文は$0$以上$1$以下の実数を明確に定義しているため,リシャール文である. これが$m\in \mathbb{N}$番目のリシャール文であるとき,この文によって定義される実数の小数第$m$位の数は$m$番目のリシャール文によって定義される実数の小数第$m$位の数,すなわち自分自身と異なることになり,矛盾する. - ベリーのパラドックス(Berry paradox)
文字の種類は有限であるから,「19文字以内で記述できない最小の自然数」が存在する.しかし,その自然数は「19文字以内で記述できない最小の自然数」であり,19文字で記述できているため,矛盾する.
これらのパラドックスを解消し,形式的な非自然言語(論理式)で集合論を記述するために生まれたのが,公理的集合論である.
公理的集合論
カントールとデデキントによって確立された素朴集合論で生じるパラドックスを解決するために,数学者・論理学者のエルンスト・フリードリヒ・フェルディナント・ツェルメロ(Ernst Friedrich Ferdinand Zermelo, 1871–1953年)によって,最初の公理的集合論が確立された.これはツェルメロ集合論(Zermelo set theory)(またはZ${}^-$)と呼ばれ,次のようなものであった.
特に,分出公理によって素朴集合論で生じるパラドックスを解決することができるのだが,ツェルメロ集合論では,基数やある集合の存在を証明することができなかった.
こうしたツェルメロ集合論の問題点を解消するため,アドルフ・アブラハム・ハレヴィ・フレンケル(Adolf Abraham Halevi Fraenkel, 1891-1965年)によって改善されたのが,ツェルメロ=フレンケル集合論(Zermelo-Fraenkel set theory)(またはZF)である.
ツェルメロ集合論との違いは,基本的集合の公理を空集合の公理と対の公理に分け,分出公理を置換公理にし,正則性公理を付け加え,選択公理を削除した点である.分出公理はツェルメロ=フレンケル集合論の公理によって導出することができる.
ここで,選択公理について述べておく.素朴集合論を確立したカントールは,選択公理を自明なものとみなしていた.しかし,ツェルメロによる整列可能定理の証明に反論する過程で,多くの数学者が選択公理を公理として認識するようになり,やがて選択公理がツェルメロ=フレンケル集合論から証明できるものではないことが示された.選択公理を認めることによって生じる問題はいくつかあるが,現在ではツェルメロ=フレンケル集合論に選択公理を付け加えた,ZFC(Zermelo-Fraenkel set-theory with the axiom of Choice)と呼ばれる公理系を用いることがほとんどである.
ZFCでは,素朴集合論で生じたパラドックスを回避することができる.例えば,ラッセルのパラドックスでは
\[ \{ x\mid x\not\in x\} \]
を考えることにより矛盾が生じたが,ZFCにおいてこのような集合は構成できない3.
さて,ここまで公理的集合論を自然言語を用いて記述してきたが,これらはすべて論理式を用いて厳密に記述することができる.公理的集合論,特にZFCでは,集合を次のように定義する.
集合は,ZFC公理系を満たす.
素朴集合論で生じた問題は,ZFCを導入することにより解決するが,ZFCは完璧な理論体系ではない.ZFCにも問題はあり,現在ではZFCに新たな公理を追加する試みも行われている.
ZFCによって,数学の基礎が構築されたと言っても過言ではない.
当サイトでは,主に素朴集合論の記事を執筆・公開している.公理的集合論について詳しく学びたい方は,数学書を購入することを強く推奨する(公理的集合論についてのインターネット上の記事は少ない).
公理的集合論のおすすめ数学書
- 前原昭二, 『記号論理入門』, 日評数学選書, 新装版, 日本評論社, 2005年.
- Nicolas Bourbaki, “Theory of Sets”, Elements of Mathematics, Springer, 2008年.
- Nicolas Bourbaki, 『集合論 1』, ブルバキ数学原論 第1, 東京図書, 1968年.
- Nicolas Bourbaki, 『集合論 2』, ブルバキ数学原論 第2, 東京図書, 1969年.
- Nicolas Bourbaki, 『集合論 3』, ブルバキ数学原論 第3, 東京図書, 1969年.
- Nicolas Bourbaki, 『集合論 4』, ブルバキ数学原論 第4, 東京図書, 1968年.
- Kenneth Kunen, 『キューネン数学基礎論講義』, 日本評論社, 2016年.
- Kenneth Kunen, 『集合論: 独立性証明への案内』, 日本評論社, 2008年.
- Kenneth Kunen, “Set Theory”, Studies in Logic, College Publications, 2011年.
- Thomas Jech, “Set Theory”, Springer Monographs in Mathematics, The Third Millennium Edition, revised and expanded, Springer, 2013年.
- 西村敏男, 難波完爾, 『復刊 公理論的集合論』, 共立出版, 2013年.
- 田中尚夫, 『公理的集合論』, 現代数学レクチャーズ, 培風館, 1982年.